靖國神社ヘ ミクロとマクロを繋げる作業
今日は伯父の命日。
日曜日に重なって有り難く、靖國神社へお参りに行きました。
昭和19年の今日フィリピンで戦死と兵籍簿には記録があります。知ったのは4〜5年前ですが、あの時に知っておいてよかった。
兵籍簿には他にも入隊した時期やどの部隊にいたか、そして部隊の記録には、亡くなった当時の部隊の状況が記載されていて、御参りの前に久しぶりに見返しました。
先日、旧日本軍の軍隊の話を聞いたり、今、浜崎洋介先生の「ぼんやりした不安の近代日本」
を読んでいることもあり、伯父や祖父母や父の生きた当時の日本と、彼ら自身を重ねることができたら、もっと濃く近くに感じることができる気がします。フィリピンの12月はどんな天気なのかな?と思ったり、世相は今と当時とは全く違うだろうし、でも切り離さずに一筋の糸として通して、自分に繋がる大切な人たちを見つめ直したいです。
今日たまたまTwitterで上がって来たホンマもん教室の「戦後76年“あの戦争“とは何だったのか〜ホンマもんの保守をめぐって」を見て、林房雄さんの議論にも興味が沸いて来ました。
個人的な環境や感覚(ミクロ)と時代や社会(マクロ)とが連なっているのがとても大切だと見てて思いました。
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教科書で習ったり、大所高所から日本とは、のような話をずっと聞いたり、読んだりして来て、大切なことをいっぱい教えてもらったけど、ずっとそればかり見てたかな。
個人的には、それだとどこか他人事のようになってしまって、すべてを分かった気になって傲慢になりそうで困る。
分かることも分からないこともあるんですよね。
ムリに穿り出さなくてもいい。
なんかいろいろ丁寧にすることで、知りたいことも一つ一つ繋がって力になっていく感覚があります。
踊り場でも書いてみる 読書感想文
今とてもおもしろい本を読んでいます。
ぼんやりとした不安の近代日本
文芸批評家の浜崎洋介さんの最新刊。
そして前作はこちら。
小林秀雄の「人生」論 (NHK出版新書)
これはとても読み応えがあり、深いところに届いた感じと、近現代の日本と一歩深く繋がれた感じがしました。
それは、今ここの現実と過去の日本との道筋を指し示すものでした。
言葉にしたことはないけど何となく感じていたことを、よりはっきりと言葉によって浮き彫りして、差し出された感覚。
加えて、やはりその表現力というか、これを作品として著したことそのものに感嘆しました。
しかし、
良い作品でもすぐに記憶の隙間から溢れてしまうので、今回読んでいるこの作品は、読みながら感じたり考えたことを、その都度、書いてみようと思います。
小中学校の読書感想文では、作品を読み終えてから書いていたので、そのように何となく思っていました。
例えるなら、階段の踊り場で途中経過をあれこれ言うのではなく、最上階に辿り着いてから、その道程を振り返るべき、みたいな。
だけど、ビルの階段の途中で見かけた人やモノや小さな生き物たちを、その時、感じたものが新鮮だったり、非日常的な感覚がしたり、気付きがあったり、心が揺り動かされたのに、最上階に着いたらもうその記憶がおぼろげに薄れて、最上階での印象や体感をその場だけの感想でしか表現できないのが、残念であり、悔しくもあるのです。
ということで、次回以降は階段の踊り場であっても、時には階段の途中でも、その時の感想、湧き上がって来たものを記してみようと思っています。
繰り返すことにより、積み重なり、またそれぞれがどう繋がるのかを見てみるのも楽しそうだと感じています。
深い教養へ至る身体性
「若さは人を信頼する力」
浜崎洋介先生の出演動画からのメモ
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【浜崎洋介先生㉜】若者・学生との向き合い方1 社会システム
「子は親を救うために病になる」の本から
生命システム
心理システム
脳神経を減らして社会に適応する→心理システム
生命システムとの矛盾が大きいと生きるのが辛くなる
生命システムに耳を傾けて無理のないように心理システムを作る
青年期は、社会へ適応するため、また経験不足のため心理システムに寄る
心理システムに適応しすぎると、生命システムの波動が聞こえなくなる
真面目な人ほど、心理システムに生命システムを譲る
譲ったことに痛々しい思いを抱えている
生命の欲動があることを青年に働きかけると、生命システムが動き出す
30代前半で生命システムが死んでしまう人が半分くらい。40代くらいだとほとんど。
ニヒリズム、ゾンビ的な人間→心理システムに譲りすぎる
福田恒存
「若さは人を信頼する力」
信頼とは死を恐れない
今自分の生命が躍動するから、それで失敗してもいいと思える
信頼感を持つ人間を若さと言える
年齢は関係ないが、そのような人間は一握り
年代が上がるにつれてそういう人間はいなくなる
だから若者を大事にしないといけない
心理システムに絡め取られていない若者を生命システムに寄せて、信頼できる大人がいることを説得する必要がある。
今回も熱い浜崎洋介先生。
不真面目な人間はただゾンビのようになっていく。
当たり前に生きることは誠実であり、体感覚、躍動感、活力の大切さを示してくれる。
そして、若者たちの話を聞き、向き合う時間こそが、信頼感を醸成することへいちばん働きかける、と語る浜崎洋介先生が眩しい。
7月8日のこと
この日は、人に会う予定がもともとありました。
折しも、その日の昼間に日本中に大きな衝撃のあるニュースが流れて、なかなかピンと来ず、大したことないんじゃね?と思っていました。
道中の車内で雑誌を読んでいたら、昭和初期の不況と軍隊の台頭、そして政府の要人の暗殺が続いたことなどがたまたまテーマだったこともあり、心のムードはそちらへ引っ張られているのを感じていました。
こんな時はあまりそういう情報に触れると心身に来ます、というのも聞いてた。
だけど無関心ではいられなくて、でも情報を探っても仕方ないと思いながら、好きな音楽を聴いてたけど、それもこの大きな出来事と重なるようにしか聴こえませんでした。
それだけ大きな波の中にいるんだという実感。
夜会った人たちからその話題を聞くと、大きな悲しみの中に動揺していることを感じつつも、だんだん落ち着いて来るのを感じました。
これは大きな流れの中にあることで、一つの節目かもしれなくて、この先へ続いていく道標を付けることができるきっかけになる。
会った人たちの中には、初めて会う若い人たちが何人かいて、彼らの存在感が力強く感じられました。
ただそこにいるだけで、その存在感ってフレッシュで光っててエネルギーがある。
混沌としたものを抱えながら、それでも挑み続ける、ガチな人を間近に見て、古都の街で夜を過ごしました。
何か力になることをしたい、と思っている。
一つだけ、自己満足かもしれないけど、すぐできることはある。
「自己責任」と小泉政権
前回「自己責任論はもう止めよう」という記事を書きました。
この「自己責任」という言葉が、世の中を闊歩し始めたのはいつだろうか?
記憶では、小泉政権の当時、イラク戦争で人質となった日本人3人の事件があった2004年。
外務省の海外渡航情報で退避勧告が出ていたイラクに入国していた3人。
また3人の家族がテレビでメッセージを出し(記者会見?)
「犯人の言うとおり、3人のために(当時イラクに派遣されていた)自衛隊を撤退させてほしい」
と言っていた。
それを聞いて、「勧告を無視した3人のために自衛隊を撤退させろと言うなんて、なんて身勝手な人たちだ」と憤慨した。
それは私が自分でそう思ったというよりは、世の中の空気のとおり反応していたんだろう。
こんな記事がありました。
2018年の記事。
誰のせい、みたいな煽りを感じるタイトルが、自己責任とは反対のイメージに思わせるけど、他人に責任を負わそうとする捉え方が同じ目線、って思う。
だけど、重要なのは誰が言い始めたのか、ではなく、大きなインパクトを社会へもたらした人の言葉だろう。
4月16日の毎日新聞・夕刊一面は「3人、18日にも帰国」。その脇には「イラク人を嫌いになれない 高遠さん『活動続ける』」という小見出しがある。高遠菜穂子さんはイラクでボランティア活動をしていたのだが、その活動は今後も続けると答えたのである。
するとその言葉を聞いた小泉首相は、
《 「いかに善意でもこれだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれたのに、なおそういうことを言うのか。自覚を持っていただきたい」と批判した》わざわざ首相が強い言葉で非難したのだからインパクトは強かった。人々の記憶に強烈に刻まれたのだ。
当時、小泉さんのこの言葉に賛同する人が多かったと思う。
私もそうだった。親が親なら子も子で身勝手な人だと。
与党の他の政治家も挙って彼等に反省を促し、責め立てた。
そして記憶をたどると、センセーショナルにこの事件は連日テレビに登場し、世の中お祭り騒ぎ。そして、帰国した3人をあらゆる言葉で批判し、ディスったりしていた。
あるものは正義を唱え、あるものは鬱憤晴らしのように彼らを感情のはけ口にしていた。
だけど、時間が経った今だから言えることであるが、その空気の外へ出てこの言葉と状況と人々の置かれた位置を眺めてみると、これは恐ろしいことだ。
国家をあずかる政府の、しかも首相という政府のトップが一国民を非難する。
象が蟻を踏み潰すだけなのに、派手なパフォーマンスで人心を集める。
こんな強いメッセージがあるだろうか。
「自分の主張をするのではなく、政府に感謝し大人しくしていろ」
国のトップはこういうことを言ってはいけない。しかもメディアの前で。
そして当時の私も含め、世の人々は小泉首相に快哉を叫び、一般人の若者たちを集団の言葉で踏みつけた。
おぞましい。
あの時の空気感は、もう20年くらい前のことなのでリアルではないけど、動画を見ると少し思い出せる。
コメント欄には
「政策は知らんけど、こういうハッキリとものを言う人がまた出てきてほしい」
みたいなのが溢れててドン引き。
日本はもう落ちるとこまで落ちるしかないのか。
この浮かれた答弁やパフォーマンス、敵味方の構図を作って悪を懲らしめる側に立ち、有権者を煽る。
当時の私は「小泉劇場」の言葉のとおり、他人事のように劇場の観客になって笑ってテレビを見ていた。
小泉首相を「この人ちょっと…」と思ったのは、トリノオリンピックで荒川静香選手が金メダルを取ったあとに、現地と回線をつないでお祝いの言葉を話していた時。
荒川静香さんは小泉首相の言葉に緊張しながら受け答えしていた一方で、小泉首相は荒川静香さんの言葉を最後まで聞かないで、受け止める様子もなく、浮かれながら話の途中に入って言葉を挟み、言いたいことを言っていたのを見た。
それまではいい印象を持っていたので、がっかりしたのを覚えている。
これは荒川静香さんだけでなく、他の人とのやり取りでもきっとこんな風だろうと思ったし、総理大臣がこれで大丈夫なのだろうかと思った。
詳しいことは省くけど、小泉内閣の政策のあれやこれやで、日本は人々の繋がりを物心ともに断ち切る方向へ、日本人が物心ともにダメになる方向へ、決定的に舵を切った。
個人がバラバラになり、個々人は寄って立つ場所を失ったり、見つけられず、またそこへ依存したりして、足下がおぼつかない。
そんな人が集合した社会。
森永康平さんではないが、ミクロが集まってもマクロにはならない。
マクロの感覚は高いところや、平面的にも距離を取り、時間的な視点を持つことで成り立つもの。
自己責任。
少なくとも、子供のころはそんな言葉を聞いたことがない。
しかし、この「自己責任」の言葉と価値観が蔓延している世の中で育った子供はもう大人になっている。
社会を支配する価値観として定着している。
政治だけでなく、日常生活にも溢れている。
個人をバラバラにして、対立を煽る構造にある自己責任という言葉。
もうその中にどっぷりいるのだけど、流されるのではなく、抗いたい。