日本が降伏した日

終戦の日」の前、作家の佐藤健志さんのブログを読みました。

平成最後の終戦の日、または「とにかく豊かになったのだから」を終わらせよう | 佐藤健志 official site ”Dancing Writer”

1945年8月15日は

日本と連合国の戦争が終わった日ではありません。

それはサンフランシスコ平和条約の発効した1952年4月28日。

 

しかも1945年8月15日は

日本が連合国に降伏した日ですらありません。

それはミズーリ号で降伏文書調印の行われた1945年9月2日。

 

ならば連合国にたいしてポツダム宣言の受諾を伝えた日か?

いえいえ、それは1945年8月14日。

 

1945年8月15日は

連合国にたいするポツダム宣言の受諾を、玉音放送という形で対内的に公表した日

にすぎないのです。

 

日本人のほとんどは

あの放送で初めて陛下の肉声を聴いたのですから

強烈なインパクトがあったのは想像に難くない。

 

しかし国際的には、さして意味のある日付ではないのです。

まあ韓国や北朝鮮のように、

この日を「光復節」や「解放記念日」として重視してくれる

ありがたい国もあるにはありますが

いかんせん少数派。

 

とはいえ、あの戦争の敗北からまず学ぶべき教訓があるとすれば、

それは次のようなものではないのか。

 

外国と関わる際、

とくに自国の覇権を確立しようとする際には

自分の都合や尺度にあわせて物事を考えるべからず。

なにせ相手は外国(人)なのだ。

向こうの視点を理解したうえで

つねに最悪の(=自分にとって都合の悪い)事態を想定するくらいでないかぎり

いかに善意や正義があろうと失敗する。

 

その意味で8月15日を「終戦の日」と呼んでいる間は

われわれは過去の教訓をちゃんと学んでいないと思うわけです。

 

ついでに気になるのは

9月2日や4月28日ではなく

8月15日を「終戦の日」と見なすことが

じつは現実逃避としての側面を持っている点。

 

だってそうでしょうに。

9月2日を「終戦の日」としたら、

戦争はただ終わったのではなく

日本の敗北と降伏で終わったことがクローズアップされる。

4月28日なら、

占領もまた戦争の一部だったことがクローズアップされます。

 

早い話が

日本の力ではどうにもならないところで歴史が動いていたことを

直視せざるをえなくなるんですな。

 

しかるに8月15日なら

昭和天皇の力で歴史が動いたかのごとく

印象づけられるではありませんか。

 

8月15日は日本人にとっては重要な日で、それぞれの気持ちを思い起こし、考え、それを表出させてきた。

けれども、玉音放送の重みもあり、あの日に戦争が終わったことを噛みしめていたことが、実は戦争に負けたことを直視せず、やり過ごす口実にもなっているのかもしれない、と思った。

その1週間くらい前には広島・長崎の原爆の日があったけれど、ニュースでは「戦争の惨禍を繰り返さない」「平和への誓い」など、誰が原爆を二つの都市に投下したのか、にすら触れないことに大きな違和感と不快感があった。

その後、上記の記事を読んだとき、頬をパンパンと叩かれた感じがした。
であるなら、「戦争に敗れた」事実をもっとしっかり感じなければ、と思った。

戦争の体験もなく、肉親や語り部からの伝聞、書物や映像で見聞きするだけの戦争。

心許ない現実感しかないまま、どこまで感じ取れるだろう。

 

8月14日のポツダム宣言受諾が公表された翌15日の玉音放送を経て、昭和20年9月2日、東京湾上のミズーリ号で降伏文書(休戦協定)の調印式が行われた。

ミズーリ号が停泊した場所について:

そこは、かつて日本に開国を迫ったペリー提督が日米和親条約調印の際、旗艦としていたポーハタン号を停泊させていたのと同じ場所と言われる。そんな演出を考えたGHQ連合国最高司令官総司令部マッカーサー元帥も、当日艦上での演説前には、緊張が隠せなかったという。 

NHKは何を伝えてきたか 国際放送の80年 国際放送年代史+サービス概要 1935~2015 より

また、マッカーサー1854年日米和親条約が締結されたときのペリー艦隊「ポーハタン号」に掲揚されていた星条旗を調印式の場に持ち込んでいた。アメリカらしい執念を感じる。

主な参列者:

日本 重光葵(外相) 梅津美治郎参謀総長

連合国 ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官

各国代表 米国・中国・英国・ソ連・豪州・カナダ・フランス・オランダ・ニュージーランド 

主な内容

  • その所在地に関わらず日本軍全軍へ無条件降伏布告。全指揮官はこの布告に従う
  • 日本軍と国民へ敵対行為中止を命じ、船舶・航空機、軍用非軍用を問わず財産の毀損を防ぎ連合国軍最高司令官及びその指示に基づき日本政府が下す要求・命令に従わせる
  • その所在地に関わらず、日本の支配下にある全ての国の軍隊に無条件降伏させる
  • 公務員と陸海軍の職員は、日本降伏のために連合国軍最高司令官が実施・発する命令・布告・その他指示に従う 非戦闘任務には引き続き服する
  • ポツダム宣言の履行及びそのために必要な命令を発しまた措置を取る
  • 天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める処置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる
  • 日本政府と大本営は捕虜として抑留している連合軍将兵を即時解放し必要な給養を受けさせる

日本の降伏文書 - Wikipedia )


Japanese Sign Final Surrender 日本の降伏

この動画の2:35くらいにポーハタン号から持ち込んだ星条旗が写っている。

式典終了後、米海軍の飛行機が連帯を組んで東京湾上空を飛行した。日本が戦争に負けたことを象徴する映像。動画の終りの方でも見られる。

f:id:nekotower:20180903014811j:plain

降伏文書の発効を受けて昭和天皇による「降伏文書調印に関する詔書」を発せられた。

 朕ハ昭和二十年七月二十六日米英支各国政府ノ首班カポツダムニ於テ発シ後ニ蘇聯邦カ参加シタル宣言ノ掲フル諸条項ヲ受諾シ、帝国政府及大本営ニ対シ、聯合国最高司令官カ提示シタル降伏文書ニ朕ニ代リ署名シ且聯合国最高司令官ノ指示ニ基キ陸海軍ニ対スル一般命令ヲ発スヘキコトヲ命シタリ
朕ハ朕カ臣民ニ対シ、敵対行為ヲ直ニ止メ武器ヲ措キ且降伏文書ノ一切ノ条項並ニ帝国政府及大本営ノ発スル一般命令ヲ誠実ニ履行セムコトヲ命ス
御名御璽
昭和二十年九月二日
東久邇宮内閣閣僚全員連署

 これより、日本は連合国の占領下に置かれ、サンフランシスコ講和条約の発効(昭和27(1952)年4月28日)により、停戦状態から終戦を迎えることになる。

そう考えると、「終戦の日」が8月15日、というのは国内の一定の者にとっては都合が良い括り方になっていると感じる。

 

そして今日(9月2日)、靖國神社に行きました。

f:id:nekotower:20180903020746j:image

込み上げる気持ちはいつもと同じものもあったけど、やっぱり違い、申し訳ない気持ちが当時のことにも、今のことにも浮かび上がり、だけどこのまま負け続ける訳にはいかない、と思うのがやっとだった。

そして、その足で帰る生活の場には「負けた日」を織り込むにはあまりに感覚のズレがあると感じていた。