日本の伝統音楽小史(4)能・三味線・人形浄瑠璃・義太夫節

 【日本の音楽⑧】能


伝来音楽の散楽・猿楽が「猿楽能」へ発展し、郷土芸能の「田楽」が「田楽能」へ発展して、さらに「田楽能」に発展して、さらにその二つから「能」が形成されたのである。(「三つの君が代」) 

三つの君が代―日本人の音と心の深層

三つの君が代―日本人の音と心の深層

 

1375年、足利義満は、京都の今熊野社(※新熊野神社)で演じられた観阿弥世阿弥親子の能に感激、重要な支援者となる。
この動画では「猿楽能」と紹介されています。演者は能楽師ではないけど、そのルーツという感じがします。でも台本かあらすじがほしい( ;∀;)


Noh Nogaku 申楽(猿楽) 京都・新熊野神社 - 能楽発祥の地

 

【日本の音楽】<番外編>

安土桃山時代に「三味線」という日本固有の楽器が誕生した。
中国から琉球を経て輸入された「三弦」という楽器に目を付けた琵琶法師たちが、蛇皮の代わりに犬猫の皮を張って、高価な琵琶の代替品としたのである。
三味線は安価な製作費と簡単な演奏法によって、またたく間に日本全国に行き渡る。各人の声に合わせて音の高さを自由に調弦できることも便利であったが、何よりも、その大きな音量と張りのある渋い音色が日本人の好みに合ったようだ。
やがて三味線は、浄瑠璃長唄などのほか、日本伝統音楽のあらゆるジャンルの伴奏楽器として最も重要な楽器となったのである。(「三つの君が代」)


江戸時代には、三味線を(ギターみたいに)カッコよく弾く青年がいて、腕を競ったり、町娘にもてたり、っていうのが絶対あったに違いない、と子供のころから思ってて、お囃子で聞くような派手な三味線の音が好きです。
三味線もいろいろな種類があり、竿の種類(太さ)や皮の作り方、撥の形状によって音色や奏法が違う。こうして聞き比べると面白い。左から津軽三味線地歌三味線、長唄三味線。



津軽、地唄、長唄三味線による三重奏・能楽堂にて

 

【日本の音楽⑨】人形浄瑠璃


江戸時代の前半期は大阪や京都などの上方文化が発展。
商業都市・大阪では1684年、竹本義太夫が道頓堀の劇場で初めて義太夫節を語って大ヒット。
以後、義太夫近松門左衛門と組んで『曽根崎心中』『心中天の網島』などの名作を次々と発表。なかでも『国性爺合戦』は三年間の大ロングランとなる。(「三つの君が代」)


文楽は3年前~2年前くらいにハマってよく観に行っていました。大夫(浄瑠璃語り)、三味線弾き、人形遣いが一つになって作り上げている形、人形の繊細なしぐさ、場面場面で変わる大夫の語り、三味線の表情豊かな音色…ウットリして見入っていました。


文楽「義経千本桜」より二段目「伏見稲荷の段」

 
【日本の音楽⑩】義太夫節

西洋のオペラが、演技を離れて、演奏会用オペラとしても演奏されるように、本来劇場音楽として作られた曲でも、劇場に関係なく(そして舞踊などとも無関係に)演奏されることが多い。それらを素浄瑠璃ということがある。(「日本の音楽 歴史と理論」吉川英史) 

 
これは文楽を初めて観たときに一番印象に残った演目。文楽人形が演奏と語りに合わせて琴や胡弓を演奏する様子がとても繊細で美しく、しかも、この動画とは違い、三者の距離がもっとあった中での一体感のある舞台に圧倒され、シビレました。

 


素浄瑠璃 「壇浦兜軍記」 阿古屋琴責の段 5