ミクロとマクロ 認識を上書きする

政治経済に興味があって、その割には政治にも経済にも疎い。

政治家個人にはあまり興味ないし、政治的な駆け引きや勢力争いにも興味ない。

 

ただ、政治家、特に与党の国会議員は大きな影響力を持っているし、だからこそ国民のためになる、国が発展する政策をしてほしいと願ってます。

 

経済っていうともっとわけわからなくて、学校でLM曲線とか習いましたけど、試験で必要だから覚えただけで、もう忘れたし、興味そそられなかった。

 

だけど、経済って「経世済民」という中国の古い言葉の「世を経(おさ)め民を済(すく)う」という言葉から来ていると聞いたので、経済学という学問はそうであってほしいし、そうあるべきだと考えます。

 

という程度の認識なので、専門的なことは分からないけど、興味があるので、多少は知りたいんです。

 

私がよく見る界隈では「デフレ脱却」を掲げる人がたくさんいて、モノの値段が下がるデフレは、一見良さそうだけど、給料が下がって、家計が苦しくなって、ずっと続けば貧乏になる人が増えるよね、って分かる。

 

だけど、最近ガソリンの値段が上がったり、電気代が高くなって、いろんなものの値段も上がって来てる。だけど物を買う方の人たちの収入は上がらない。

(そうでない人もいるだろうけどざっくり言って)

なのに、「日本はデフレで」「デフレからの脱却」って今も言ってる人がまだまだいて、値段上がってるのに「デフレ」なの?という疑問が。

 

 

たまたま見かけたのだけど、これ読んですっと腹に落ちた。

 

それからよく見てる経済アナリスト森永康平さんの動画。


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いろんな人の合成の誤謬の解説聞いたけど、森永さんのがいちばんストンと腹落ちして深く頷いた。

 

不景気な時に一人一人が倹約してお金を使わずに少しでも手持ちのお金を多く蓄えようとする。

ミクロでは個々人や企業の経済に対する自分を守るための、ごく自然な正しい行動。

だけど、全体のマクロで見ると、誰もお金を使わずにいたら、お客さんが来なくて売り上げが落ちる。儲けもなくなり、ボーナスなんて出せない。ボーナスがもらえないから、買い物を控える。そしてまた売り上げを出すために、モノの値段を下げて売りに出す。だけどお金がないからお客さんはそんなに来なくて売り上げが落ちる…経済がどんどん小さくなって、状況は改善されず負のスパイラルが起き、正しいはずの行動が望ましくない結果になってしまう。

それが合成の誤謬

 

それに説得力を感じたのは、ミクロとマクロでは視点も機能も違うから、意識して区別して考えたり、発信することの重要性。

まぜこぜにしたり、ミクロとマクロの違いが分からずに考え、発信するとそれ自体が誤ってしまうというパラドックス

 

巷の議論ではミクロとマクロがごっちゃになっていて、ミクロの視点でマクロを論じたりしていることが多いという。

例えば社会的弱者救済のために政府が金銭的な補助をする政策に対して、「オレたちの税金をそいつらに使うな」というような話。

それが真っ当な議論の顔して歩いているから、誤っていることがずっと誤ったままで、正しいことのようにまかり通っている。

それじゃいくら論じたって、真っ当な結論にはならないよねー。😞

 

動画で森永さんが紹介している、中野剛志さんとの対談動画。


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ここでは中野さんが「合成の誤謬」について話しています。

デフレでどんどん負の循環が加速していく様子を個別の企業なりの対策(ミクロ)とからめて、経済をデフレから脱却させるために、デフレの時は投資をする、しかも莫大な投資をする大馬鹿者が必要。それが政府。

と解説しています。

国家・家計・企業は別の経済形態で、企業経営のように国家運営を見るべきでない。

マクロは全体であって、ミクロの集合体では決してない。

 

そして、政治家像にも言及。

個人が自らの力で努力して成功する。そういう競争社会で生き抜いていく、これからは自己責任で努力が必要だ、という政治家を選んだら、もしその政治家の政策が失敗して、経済が回復しなくても、「努力が大切だと言っただろう」「人のせいにしているから日本は良くならないのだ」と自分の失政の責任は取らずにいつまでもそこへ居続ける。

逆に「政治の責任だ」と言う政治家は失政の責任は取らされる。

国民を助けるための政府の力や機能をどんどん小さくさせ、国民ではなく、ビジネスが最大限に稼ぐことを助けるための政府であるところの、新自由主義の政治が蔓延ることの罪深さ、政治の負のスパイラルの姿が経済ともリンクしている恐ろしさを改めて認識。

 

新自由主義と豊かさからどんどん遠ざかる国民経済の仕組みが、縄を撚るような規則的なものと、長年の誤った政策の蓄積により複雑に絡み合っている。

 

ヤバい日本を何とかしたい!少しでもマシな社会に近づけたい!

これを国民が意思表示できるのは選挙。

経済や政治への認識も上書きして適切に新しくして行く必要があるけれども、普通に日々生活できる幸せの大切さを深く考え、実現する志を持つ人を選びたい。

最後はきっと、その人の顔を見て決めるしかない。