祖母の家(3)
祖母の家へは母と電車で1時間くらいかけて通っていましたが、祖母の家の最寄り駅はとっても田舎の風情があって、その駅舎が大好きでした。
木造の駅舎(たぶん)で自動券売機がなく、厚くて硬くて券売機で買う切符より少し小さい切符を窓口で駅員さんから買っていました。
切符の窓口の前に木製のベンチが2,3台並んでいる列が2,3つあって、決して遠くはないのに子供ながら旅情を感じていました。
列車を待つホームの裏は田んぼが残っていて、天気が良い時、田んぼが夕焼けに染まっていたのをよく覚えています。
大人になってからその駅を訪ねてみましたが、駅舎が2階建てのエレベーター付きのものに変わっていて、駅の周りもマンションが立ち並んでいました。
あの頃の風情がほとんど感じられなくなっていて、ちょっとさみしかったです。
あのころ流行っていたのかもしれませんが、山口百恵の「いい日旅立ち」を聞くと、その駅舎や田んぼの風景を思い出し、あの駅にぴったりだなぁ、としみじみ感じます。
祖母の家(2)
小さいころは、家族全員で父の車に乗って年に数回遊びに行っていましたが、小学校高学年くらいの頃に、祖母が高熱を出したことをきっかけに(うろ覚え)、母が毎週末、身の回りの世話をしに行くのにくっついて行っていました。
駅から祖母の家まではバスの便もありましたが、本数が少なく、利根川の橋を渡って30分くらいかけて歩いていくことも多かったです。その道すがらの景色も田舎らしくて好きでした。
体調を崩したと言っても、祖母は元気な様子でしたので、畑で作物を育てていて、夏には自分で育てたトウモロコシを畑で取ってくれたり、鎌の使い方を教えてくれました。
祖母が畑で穫れたトウモロコシを手に私の方を笑顔で見ていたのを覚えています。
そのトウモロコシを焼いてくれたり、祖母のために前の日にスーパーで買ったエビやイカや野菜で天ぷらを作っていたのは母でした。
母が祖母の身の回りの世話をしている間、祖母と話したり、テレビを見たりもしましたが、家から持ってきた図書館の本を縁側で読むのが好きでした。
中でも大好きだったのが、現代中国のことについて書かれた小学生向けの本でした。
「ゴミが一つも落ちていない北京の街」
「人々は新しい中国を作り、みんなで協力して一生懸命集団で働き、都市や農村で働いています」
というのを読み、こんなすごい立派な国があるなんてすごい!としきりに感心して、何度も繰り返し読みました。
たぶん母や祖母に、本の内容を話して「中国はすごいね!」ときっと話していたのだろうと思いますが、母や祖母がどんなことを返したか覚えていません。
祖母は中国のことを「シナ」と呼んでいて、他の誰もそう呼ぶ人はいないのにぶれることがありませんでした。
その「シナ」で暮らしたこともある祖母は、私の中国万歳を目を細めて聞いていたってことはないだろうと思います。