日本の伝統音楽小史(1)

海外の伝統音楽を聴いていると、現代ポップスに通じる連綿とした繋がりを多少なりとも感じるけれど、日本の伝統音楽って何かと考えると、明らかに西洋音楽とは音階が違っている、民謡や演歌や浪曲の節回しのようなイメージで、現代のいわゆるJ-Popからはかなり遠く、忘れ去られようとしている気がする。

日本の伝統音楽は、確かに良いと思うのだけど、聞いてると眠くなったり、退屈に感じることがある(感性の問題?)。

だけど、明治初期の文明開化に燃えた人たちが、いとも簡単に日本の伝統音楽から西洋音楽を取り入れることに乗り換えたのは、西洋に認められようとしていたとはいえ、とっても残念。

そんな私自身もすっかり西洋音楽に馴染み、親しみを感じてる。

「このような「単調で不調和で粗雑で金切り声のギーギーキーキーした歌や、ピアノの調律のような一本調子の琴」といった外国人の評価を耳にして、文明人気取りの明治の政治家や官僚たちが日本伝統音楽を捨てようとしたのは当然かもしれない。
西洋音楽は、その作品・理論・楽器・演奏法・合奏法・教育法、どれをとってみても圧倒的に優れていて、日本伝統音楽とは比較にならなかったのである。しかも、1868年頃の西洋音楽は、その歴史の中で最も充実した時代を迎えていた。

明治元年における西洋大作曲家たち>
ベートーベン没後41年、ショパン没後19年、シューマン没後12年。
(当時存命の作曲家↓)
ベルリオーズ、リスト、ヴァーグナーブルックナーヨハン・シュトラウスブラームスサンサーンスビゼーチャイコフスキードヴォルザークフォーレ
(中略)文明開化の日本に音立てて一気に流入してきた明治元年西洋音楽は、このような天才作曲家たちが綺羅星のごとく並ぶ音楽史上最も輝かしい時代だったのである。」(「三つの君が代内藤孝敏著 から引用)


だけど、確かにこのような顔ぶれの人たちによる音楽は、あまりにもまばゆく、輝きを放ち、マイナー音階の日本伝統音楽は、その輝きによって霞み見えなくなってしまうほどだったのかもしれない。
だけど、そうは簡単に日本伝統音楽を消し去ることはなかったし、とどまり続けている。
音楽は風土と生活と言葉がその土地の人に深く関わっているものだと思うし、日本人は西洋人とは違うものが血肉となっているから、日本人の要素を持ち続けたまま、西洋文明と向き合うしかないし、そうでないと「あんた誰?」ということになってしまう。

 

その辺りのことを少し掘り下げれば、今との繋がり、または隔絶している様が感じられるような気がするので、この本を少し読み進めてみようと思う。

三つの君が代―日本人の音と心の深層

三つの君が代―日本人の音と心の深層