八甲田山雪中行軍記念館

青森市八甲田山雪中行軍記念館。

昭和53年に民間の有志の方により開館、平成16(2004)年に再整備され、青森市により運営されています。

訪れたのは、5月の中旬ごろ。

goo.gl

http://www.moyahills.jp/koubataboen/index.html 

4月1日~10月31日 9:00~18:00

11月1日~3月31日 9:00~16:30

(休館日 12月31日~1月1日 2月21日~2月22日)f:id:nekotower:20180729020646j:image

この場所に面した道を通って、当時、第五歩兵連隊が八甲田山へ向けて行軍したのだとガイドさんから聞きました。


資料館の中は撮影がダメだと思ったので、写真は撮りませんでした。
(実際は撮影できます。資料館サイトに明記)

展示の内容は、遭難した青森第五連隊と同時期に行軍していた弘前第三十一連隊の行軍の様子、遭難の顛末、食料や装備について、当時の装備品(現代の自衛隊との比較)、救援、捜索の顛末まで。

スクリーンでの概要の上映、現地ガイドさんの解説などとてもわかりやすく丁寧で地元の方が大切にされているのを感じました。

下は隣接する陸軍墓地。明治36(1903)年創設。
写真中央奥の墓碑は下士官以上の方と当時生還された11名の方の墓碑、その前に並ぶ墓碑は189名の方の墓碑。
墓地を囲むように植えられている多行松(タギョウショウ)は墓地の創設時に四国から移植されたものだそうです。
冬はここに雪が深く積もるので、墓碑も雪に埋もれてしまうそうです。
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毎冬、陸上自衛隊青森駐屯地第五普通科連隊が八甲田演習を行っていて、この墓地を訪れています。 

www.asahi.com

  隊員は青森市幸畑の陸軍墓地にある慰霊碑に献花した後、午前8時ごろ、重さ約20キロの荷物と小銃を背負って雪道を歩き始めた。

 

墓地の端に「明治35年雪中行軍遭難凍死者英霊堂」がひっそり佇んでいました。
(昭和16(1941)年5月12日建立)
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かなり建物は古くて、75年も青森の厳しい風雪に耐えて立っている姿は健気に英霊を守っているようでした。
ガイドさん曰く、この英霊堂の管理は教育委員会がしているので、資料館を管理している青森市とは別なので、古いままで手が付けられていないのだとか。
本当に顕彰し、後世に伝えるのであれば、行政の都合で放置しないで改修でも何でもしてしっかりと守ってほしい。

 

英霊堂の前に狛犬が二匹います。

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この犬は二匹ともアイヌ犬とのことで、捜索に北海道から出動したアイヌとともに活躍したアイヌ犬の産んだ子供、との説明書きがありました。
ガイドさん曰く、アイヌ犬の狛犬は日本でここだけだとのこと。

 お堂の中には、雪中行軍に参加した210名の英霊の木像がありました。
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この木像を見た時、熱いものが込み上げて、英霊の皆さんがここにお祭りされているのだと強く感じました。

ガイドさんの話では、当時地元の仏師さんが一人一人の像を手作りして奉納したのだそうです。
一人一人の台座の上には、その方の階級とお名前とが記されていますが、長い年月のうちに木像の傷みが進み、ご遺族が手入れをしたものはお名前もはっきりと読み取れるけれど、そうでないものはそのままになってしまっているとのことです。
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「製作 佛光堂 中崎佛壇店 佛師 中崎英吉」とあります。
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 この古いお堂の両脇いっぱいに古い木像が並んでいるのを見て、資料館では見ることがなかった、地元の人々が寄せていた思いを感じました。
映画や小説に描かれたことや、遠い歴史の一コマだけでなく、確かに地元の人たちとともにこの事件があったし、彼らを顕彰する地元の人たちの姿があった。

この英霊堂と木像の英霊たちが、資料館を訪れる人たちの目に今よりもっと触れてもらえますように、切に願います。