日本の伝統音楽小史(5)歌舞伎・長唄・箏と尺八・和洋における声と楽器

【日本の音楽⑪】歌舞伎

江戸の町は新興都市であったが、江戸城周辺に全国の300近い大名が居を構え、幕府直参の旗本や御家人を含めた武士の数は50万人になったといわれている。
侍たちの生活を支えるため、さらに商人や職人が全国から集まり、江戸の人口は120万人近くに膨れ上がる。
初期の女歌舞伎は挑発的な媚態を演技に加えて人気を博したが、女色をうったとして1629年に禁止された。その後、美少年の演ずる若衆歌舞伎が生まれ、それも女歌舞伎と同様の理由で禁止されたが、女形が女性を演じるという独特の伝統が生じた。
度重なる禁止令によって、却って演者の間に、容姿の美などに頼らず演技力を身に付けようという意識が高まって、歌舞伎に深い演劇性が生まれたと言われている。(「三つの君が代」) 

三つの君が代―日本人の音と心の深層

三つの君が代―日本人の音と心の深層

 

 

傾く(かぶく)という言葉は、新しい傾向を持つ、平衡を失うという意味があるそうですが、それが名前の由来となっているだけって、派手な衣装に見得や舞、そして三味や囃子の音などとても賑やかな様子が、隆興期の江戸中期・元禄時代の江戸文化の華やかさを窺わせるようです。やっぱり、日本伝統文化の頂点はやっぱり江戸時代だったんだろうなあ。
(動画は市川海老蔵の弁慶と市川團十郎の富樫と親子で共演しています)


「勧進帳」ダイジェスト版

 

【日本の音楽⑫】長唄


高い演劇性を目指した歌舞伎で重視されたのが、「長唄」という歌舞伎音楽(劇場音楽)である。
長唄は、短い歌詞を歌っていた地唄(上方を中心とした西日本で行われた三味線音楽)から派生した長い歌詞を持つ歌である。さまざまな芸能を巧みにアレンジして華麗な音楽を作り上げて江戸町民に愛された。(「三つの君が代」)


江戸時代の邦楽は「語りもの」と「歌いもの」に分けられるそうで、こちらの長唄は「歌いもの」、浄瑠璃は「語りもの」になるということです。
この動画は先ほどの歌舞伎と同じ「勧進帳」です。
曲だけ聞いてても、リズムや音の華やかさがあって、邦楽にあまり馴染みがなくても割と聞きやすいんじゃないかと思います。


長唄 勧進帳 ~滝流し ~

 

【日本の音楽⑬】箏と尺八


九州・久留米の僧侶が中国から箏曲を取り入れ、その流れを汲んだ八橋検校(やつはし けんぎょう)が箏曲を発展させて開祖になった。箏の演奏家は幕府から検校(注 盲官の最高位の名称)という地位を得て特別に保護されたが、やがて、京都では生田流、江戸では山田流となり、箏曲の二大流派は大いに栄えることとなる。
尺八は元来、雅楽の楽器として日本に渡来したが殆ど忘れられていた。しかし、鎌倉中期、中国から新たに尺八が伝えられ、普化(ふけ)宗の虚無僧たちが読経代わりに演奏しながら諸国を歩いたのである。その素朴な音色は人々に好まれて、現在でも民謡伴奏楽器として広く使用されている。(「三つの君が代」)


この動画の「六段の調べ」は、八橋検校の作品。箏、尺八、三弦(三味線)の合奏。曲の構成は一段、二段…、五段、六段となっていて、少しずつテンポが上がり早くなるのですが、ノリノリのリズムを取って弾いてはいけません。この動画ではノリノリにはならず、抑えた感じで演奏されています。

京都のお土産の「八ッ橋」(生じゃない方)お箏の形に似てます。江戸時代に誕生した焼菓子で、形が箏に似ているから(後付けっぽいけど)だと聞いたことがあります。


六段の調(三絃、筝、尺八の合奏です)

 
【和洋における声と楽器の関係】

 

江戸時代、日本伝統音楽は独自の世界を作り上げたが、その殆どが「ウタウ」音楽であったことに特に留意しなければならないと思う。
 西洋音楽では、「声」は「楽器」を模倣している。
 例えば、華やかな技巧を駆使したソプラノの歌など聞くと、それがよくわかる。彼女たちは、まるで華麗なフリュートそのものではないか。自らの体を正確無比な楽器と化して歌を歌うことに駆けているのある。
 一方、日本伝統音楽では、「楽器」が「声」を模倣する。
 日本伝統音楽のウタは、いかに日本語を情感豊かに伝えるかという一点に意識を集中させていて、伴奏の三味線も尺八も、微細に揺れ動く歌の節回しと、その渋みある声色を模倣することに全てを懸けている。そのため、日本の音楽は、音響の重なりの美しさを追求する和音音楽に進化することはなかった。ノドによる言葉の表現を極限まで追求する美感によって成立している日本の音楽は、遂に、西洋のような和音を構築する美学を持つことはなかったのである。(「三つの君が代」)


昔、箏の先生が合唱のコーラスみたいな声で歌っていて、ノドを大きく開いて頭の上から声を出して歌うように教えられたけど、和楽器にコーラスの裏声はとても違和感があって、それでは歌いたくないと思い、かといって何が適切なのかも分からず、結局適当に歌っていたので、本当の地歌(筝曲)の発声法は知らないまま。
この動画は、邦楽での歌い方の(私の)イメージに近いものです。そしてこの「千鳥の曲」はお箏らしくて好きな曲の一つです。


千鳥の曲(Chidori-no-kyoku)-吉沢検校作曲-都山流公刊譜・尺八改訂手付-2016年9月25日-福岡三曲協会

 

『千鳥の曲』は、吉沢検校(よしざわ けんぎょう/二世)が幕末に作曲した筝曲(そうきょく)。本来は胡弓と箏の合奏曲.
古今和歌集』、『金葉和歌集』から千鳥を詠んだ和歌二首を採り歌とし、器楽部である「前弾き」(前奏部)および「手事」(歌と歌に挟まれた、楽器だけの長い間奏部)を加えて作曲したもので、吉沢自身が考案した「古今調子」という、雅楽の箏の調弦、音階を取り入れた新たな箏の調弦法が使われている。
塩の山 差出の磯に 住む千鳥 
君が御代をば 八千代とぞ鳴く
古今和歌集』より 詠み人知らず
淡路島 通う千鳥の 鳴く声に 
幾夜寝ざめぬ 須磨の関守
『金葉集』より源兼昌(みなもと の かねまさ)作
「差出の磯(さしでのいそ)」とは、山梨県山梨市の中心部、笛吹川沿い位置する景勝地のこと。笛吹川側から見ると突き出て(差し出て)おり、内陸部にありながら海辺の磯のように見えるところから「差出の磯」と名付けられた。

世界の民謡・童謡「千鳥の曲 筝曲」

http:// http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/chidori.htm